アーティストとしてラジオDJとして日本茶を伝える、茂木雅世さんに聞く、
日本茶業界の今

アーティストとしてラジオDJとして日本茶を伝える、茂木雅世さんに聞く、
日本茶業界の今

10年以上前から煎茶を提供するポップアップ出店や淹れ方をレクチャーするイベント出演などの活動を行い、現在は毎週末、ラジオDJとして日本茶の最新情報を発信している茂木さん。茂木さんにとってのこの10年と、この間で変化した日本茶を取り巻く環境を聞きました。

<プロフィール>
日本茶アーティスト。煎茶道東阿部流師範・茶育指導士。2009年に勤めていた会社を退職し、ギャラリーなどで煎茶を提供するポップアップ出店の活動をスタート。現在はお茶にまつわるモノやコトの企画・プロデュースなどを行っている。FMヨコハマのレギュラー番組「NIPPON CHA・茶・CHA」放送中。著書に『東京のほっとなお茶時間』(ジービー)がある。

 

保温ボトルに淹れた一杯のお茶が転機に

幼い頃から、日常的に煎茶を飲む家庭で育ったという茂木雅世さん。母親が家で淹れる一杯のお茶が今でも忘れられない、と幼少期のあたたかな記憶を回想します。母に教わり、まだおぼつかない小さな手で煎茶を淹れたあの頃、家庭での会話は一杯のお茶を通すことで温もりが増していきました。

茂木さんにとって、かけがえのない時間を彩る大切な存在となったお茶。社会人になってからも、外出時には家で煎茶を淹れ、保温ボトルで持ち歩くことが習慣となりました。

写真提供:茂木雅世さん

大学卒業後は音楽活動に励み、シンガーソングライターとして自分の想いを表現。その後、放送作家としてラジオの制作などをしていましたが、過労で心身のバランスを崩してしまいます。そんなある日、いつものように会社の休憩室で飲んだ保温ボトルのお茶が茂木さんの心を大きく動かします。

飲み進めるたびに、張り詰めていた緊張を一瞬でほぐし、八方塞がりで落ち込んでいた自分を救ってくれるような一杯。これまで音楽に関わってきて、大好きなアーティストのライブにいったときに感じる高揚感に似た感覚があったと言います。「『これはヤバい……!』という感動とともに、私にとってお茶が一筋の光に見えました。そんな力を秘めたお茶の世界を、世の中にもっと広めたい。自分自身を、お茶を通して表現してみたいと強く思ったんです」と熱っぽく語ります。

 

日本茶を提供する店が少ない時代、“人とお茶の交差点になる場所作り”が活動の始まり

このことが大きな転機となり、茂木さんは会社を退職。「心が動くような一杯のお茶と出合う場所、人とお茶の交差点になる場所を作りたい」という想いを胸に、2010年から日本茶アーティストとして活動をスタートします。この頃はまだ日本茶を提供する店は少なく、日本茶が好きな人、知識がある人が通うような、専門的な店が大半だったと振り返ります。

「私が日本茶の魅力を伝えたい人というのは、むしろお茶をまったく知らない若い世代。ほとんどお茶に興味がない人たちが、偶然好みのお茶に出合って感動を覚えるような空間を作りたいと思いました」。

煎茶を振る舞うイベントを都内のギャラリーや店舗などで行ううちに、人が人を呼び、いつしか有名百貨店などからもイベント出店の依頼がかかるようになった茂木さん。

「足を止めてくれる人の中には10代の若いお客様もいて、あるとき急須を知らないという高校生にも出会いました。でも、そういう人と自分とのギャップに触れることが新鮮で、とても面白くて。まったくお茶を知らない人にお茶を知ってもらうためにはパワーを使いますが、逆に自分の内側からエネルギーが湧いてくる。『お茶はこうだよね』というこれまでの固定概念を覆し、イメージを変えていきたいとも思っていて、気づいたら、呼ばれた場所に茶器を持って出かけるという活動が、5〜6年ほど続きました」。

 

ラジオという手段で、最新のお茶カルチャーを発信

写真提供:茂木雅世さん

日本茶を提供する店や、日本茶のワークショップなどが徐々に増え始めてきた10年ほど前、都内で行われたお茶会に参加した茂木さん。このとき、運命的な出会いが彼女を待ち受けていました。「たまたま同じお茶会に来ていたラジオディレクターさんに、声をかけられたんです。私のお茶の活動をご存知で話が弾み、この出会いがきっかけで、お茶のラジオ番組のDJを担当することになりました。これが今でも続いている、FMヨコハマの『NIPPON CHA・茶・CHA』という番組です」。

イベントを通じ、お茶でほっとする空間を提案し続けていた茂木さんに、また新たな転機が訪れた瞬間でした。「ラジオDJとして、お茶業界の最新情報を毎週、発信しています。当初から意識していることは、難しい専門用語はあまり使わずに、分かりやすく伝えること。現在はインターネットを使って全国のエリアでラジオが聞けるので、お茶好きなリスナーさんが全国から聞いてくれているような印象です」。

 

今後は商品やシーンが多様化し、自分にフィットするお茶が増えていく

今年で8年目を迎えたFMヨコハマの『NIPPON CHA・茶・CHA』。番組のラジオDJを通し、茂木さんが感じている日本茶業界の変化を質問してみました。「お茶農家というと、以前は年配の方が作業しているイメージが強かったかもしれませんが、お茶農家に従事する若い人がだいぶ増えたと感じます。SNSの広がりによってさまざまな角度から情報が拡散され、日本茶の情報に触れる機会が増えました。それにより、日本茶好きを公言する人が珍しくなくなってきましたね。最近では、自分好みの農家を人に推奨する、“推し農家”がある人もでてきました(笑)」。

また「天空の茶の間」など、ロケーションとしての農園の価値を再確認する農家が増えたとも説明します。「これもSNSの拡散効果が後押ししていると思いますが、これまでお茶農家さんとしては当たり前に思えた風景が、人に感動を与える特別なものだということに気づきはじめた生産者の方も多くなりました」と茂木さん。

今後のお茶業界はどのように変化していくのでしょうか。「お茶は、生産地域や品種の違いだけではなく、例えば、栽培される標高によってもだいぶ味わいが変わりますよね。それから玄人向けのものに加えてオシャレなパッケージのものなど、お茶のニーズがより細分化されることで、その人にフィットした商品が増えると思います。

また、昔のお茶屋さんが行っていたように、茶缶にお茶の葉を入れて量り売りをする店が復活するのではと予想しますし、復活してほしいですね。」。最後に今後の目標をお聞きすると、「自分を通して、全身でお茶を愛し、全身で伝えていきたい。」と茂木さん。ラジオや執筆活動などで“発信する”ことに加え、またいつかお茶のイベントを再開したり、ミュージシャンとしてのお茶への愛を表現したいとのこと。日本茶業界が過渡期を迎えるなか、茂木さんの日本茶アーティストとして活動はこれからも目が離せません。

写真:吉田浩樹  文:吉田明乎