創業70年を目前に静岡茶市場で誕生した初の女性仲立人
※「茶市場を知る①|『茶市場』の役割と仕組みとは? お茶だけを取引する超専門市場」はこちら
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1956年に日本初の茶市場として創業した「静岡茶市場」。その歴史はまもなく70年を迎えようとしています。これまで茶業界では、生産、加工、流通、販売、そして消費のシーンに至るまで、さまざまな技術と伝統が受け継がれてきました。静岡茶市場においても多くの独自の文化が根付いており、職員が“仲立人(なかだちにん)”となって売手・買手と話し合いにより商談を行う「相対取引(あいたいとりひき)」や、交渉が成立したときに3度手を叩く「手合せ」、またそもそも「お茶専門の市場」という存在自体も日本茶文化のひとつといえるでしょう。
そんな中、2023年4月、大きな変化が。これまで男性のみだった静岡茶市場の仲立人に初めて、女性のなり手が誕生したのです。
彼女の名は、大川梓(おおかわ あづさ)さん。入社11年目にしてめぐってきたチャンスに大川さんは今、がむしゃらに取り組んでいます。
仲立ち人の手腕ひとつが、生産側・製茶側、双方の事業を左右する
大川さんが担う「仲立人」とは、茶農家をはじめとした生産側の「売手」と、製茶問屋・メーカーなど製茶側の「買手」の間に入り、両者の取引が公正に行われるよう取り持つ仲介役のこと。入札や競り売りと異なり、話し合いによって価格や購入量を決める「相対取引」が行われている静岡茶市場だからこそ存在する、今では全国的にもめずらしい職です。
主な仕事は、お茶の卸取引における価格交渉。できれば安く購入したい買手と、少しでも価格を維持したい売手の双方の声に耳を傾け、品質の確認、取引量の調整などを行い、最終的な価格決定と商談成立のためのサポートを行います。
「とても責任ある仕事だと感じています。茶農家さんが丹精込めて育てた茶葉ですから、少しでも高く適正な価格で売りたいという気持ちがある一方で、毎日大量の茶葉を仕入れる買手さんの立場を考えると、1キロ当たりの価格が100円上がるだけでもその影響は大きい。仲立人は、売手・買手両方の生活はもちろん、ひいては茶業界の存続も左右しかねない大切な仕事だと思っています」
18歳で茶業界へ。ひたむきに仕事に向き合い続けて得たチャンス
静岡市で生まれ、両親共に製茶問屋務めという家庭で育った大川さんにとって、お茶は幼い頃から常に身近な存在だったといいます。「小さい頃はあの独特の苦さが苦手で、嫌いだったんですけどね(笑)」と気恥ずかしそうに笑いながらも、いつしかそれが美味しいと感じるようになり、茶市場への就職は自ら志望したそう。
商業高校を卒業すると、18歳で事務職員として茶市場で働き始めた大川さん。2〜3年ほど経理を担当した後、主に買手側の事務手続きをサポートする業務に就いたことを機に、製茶問屋やメーカーの買い付け担当者など、現場の茶商たちと関わる機会が増えていきました。
「当時は集金や請求書の対応がメインだったので、お茶について深く話したり議論したりということはなかったのですが、それでも7〜8年続ける間に買手の皆さんとも少しずつ打ち解け、たくさんの方に声をかけていただけるようになりました。もしかするとそんな様子を先輩や社長が見てくれていたのかもしれませんね。今年の4月、『仲立人にならないか』と現場配属のお話をいただいたんです」
実は静岡茶市場では数年前から、女性仲立人の育成が検討されており、そのタイミングや人材について議論が行われていました。そこで抜擢されたのが、大川さんだったのです。突如舞い込んできたビッグチャンスに、彼女は当初驚いたと振り返ります。
「でも、嬉しかったです。ずっと事務職だったので不安ももちろん大きかったですが、現場の仕事にはすごく興味がありましたし、よりお茶と深く関われると思うと断る理由はなくて。『できるかわからないけど、やってみたいです!』とチャレンジすることに決めました」
お互いがいい表情で取引を終えた時が嬉しい。心得は「いいお茶を適正な価格で」
仲立人の仕事は、けっして楽なものではありません。最盛期の4〜6月には毎日6:30に取引開始となるため、出勤時間は5:00。大川さんは3:30には起床して茶市場に向かうといいます。
「茶市場を知る①|『茶市場』の役割と仕組みとは? お茶だけを取引する超専門市場」で彼女自身が教えてくれたとおり、お茶の取引にあたってはまず、仲立人と売手がその日上場された茶葉の品質を確認し、事前に希望参考価格をすり合わせて「手合せ表」と呼ばれる値札に記入してスタンバイ。仲立人はこのとき、売手から「今日はかなり出来がいいからいつもより少し高めでいきたい」「どんなに下げられてもここまで」など、取引に臨む条件を細かくヒヤリングしておくのだそう。
取引開始のベルが鳴ると一斉に交渉スタートです。買手が次々と売手と大川さんのもとを訪れては3者で交渉を重ねてゆき、うまくまとまれば“シャン・シャン・シャン”と3者で手を叩く「手合せ」をして交渉成立。こうしてスムーズにいけば、5分もかからずにお互いが納得いく価格で取引が終えられることは、相対取引の大きな利点といえるでしょう。
一方で、もっとも苦労するのはやはり価格差が埋まらないときだと語る大川さん。「本来は150kgでいいところを、300kg買うとおっしゃってるのでもう少し安くできませんか?」と売手に相談したり、「人気の品種で、特に今日のは新物でいい出来だからこれくらいが適正だと思うんですが」と買手に再検討を促したり。さまざまな手を尽くし、なんとか落としどころを探りながらも、時にはどうしても決裂してしまうことも。
それでも彼女は、自分が間に入ることで直接いいにくいことがお互いに伝えられることや、提案次第ではよりよい内容での取引成立に導くことができるこの仕事に、やりがいを感じていると話してくれました。
「仲立人はあくまで、中立の立場でいなければいけません。だからこそ『いいお茶を適正な価格で』を常に心がけています。私はまだまだお茶の品質を判断する力が乏しいので苦労しっぱなしですが、取引を終えた時、売手さんも買手さんも気持ちよさそうな表情をされていると、いい取引ができたかなと感じます。生産者さんの努力が茶商さんに認められ、その茶葉が美味しい仕上げ茶になるのだと思うとすごく嬉しいです」
女性という個性を武器に、自分らしい仲立人になりたい
創業70年を目前にして初めて、女性仲立人の起用に踏み出した静岡茶市場。しかしそれでもまだ、売手も買手も9割以上が男性、加えて20年、30年と長いキャリアを持つ50代以上の職人であふれる世界です。厳しい言葉をかけられることもゼロではないといいますが、それも叱咤激励だと捉え、持ち前の笑顔で前に進み続けます。
「仲立人の先輩方はもちろん、売手さん、買手さんみんなが、駆け出しの私を育てようとしてくださっていることを感じられるから頑張ろうと思えるんです。あえて少し難しい交渉を任せてくれたり、お茶についてたくさん学ぶ機会をくださったり。人と人とのやり取りで成り立ってきた静岡茶市場らしいですよね。大切なお茶を守りたいという想いは、皆さん同じなんだと思います」
また彼女の存在は、これまでの茶市場になかったムーブメントも生み始めていました。それは、生産者や茶問屋が「消費者目線の声」を取り入れようとする流れができたこと。茶業界では長らく、男性社会が根強く残る生産・流通の現場と、女性がメインの購入・消費の場との間でねじれ状態が続いていましたが、前者に大川さんが加わったことで、消費者・女性としての声はもちろん、若い世代の考えを参考にしたいと、職人たちが彼女に声をかけるようになったといいます。
「“女性仲立人”という肩書に甘んじるつもりはありませんが、私にしかない強みは最大限に活かしていきたい」と語った大川さんの瞳は、力強く輝いていました。
一人前になるまで20年。若き仲立人の挑戦は続く
お茶に関わる人手が少なくなる中、最後に大川さんはこんな言葉を寄せてくれました。
「茶市場や仲立人は、なかなか表に出ることのない存在ですが、人と人との関係を取り持つという素晴らしい仕事です。もっと多くの方にその必要性や魅力を知ってもらい、女性はもちろん若手のなり手も増えていくと嬉しいですね」
10年、20年と続けてようやく一人前になるといわれる仲立人の仕事。大川さんの仲立人人生はまだ小さな一歩を踏み出したばかりです。しかし、若き女性仲立人として奮闘する彼女の存在が、茶業界に何かしらの変化をもたらすまでには、そう時間はかからないのではないでしょうか。