抹茶ラテアート大会
チャンピオンに聞く
バリスタ×抹茶の可能性

抹茶ラテアート大会
チャンピオンに聞く
バリスタ×抹茶の可能性

Japan Matcha Latte Art Competition 2021で優勝し、一躍脚光を浴びたバリスタ・松本勇気さん。コーヒーのラテアートだけでなく抹茶ラテアートにも取り組み、フリーランスバリスタとして活動する松本さんに、優勝したことでバリスタとしての活動の幅がどのように変わったのか、また、抹茶を扱えるバリスタとして今どのようなことを考えているのか、コーヒー、抹茶、カフェの観点から話をうかがいました。

◆松本勇気さん プロフィール
1995年東京生まれ。留学先のニュージーランドでラテアートに出会い、衝撃を受けたのをきっかけにコーヒーの世界へ。現地の大学に通いながら、カフェでアルバイトをしつつ、ラテアートを追求。2016年に帰国後、バリスタとしてキャリアを積むため、シアトル系の大手コーヒーチェーンから個人店まで様々な業態のカフェで研鑽。Japan Matcha Latte Art Competition2020決勝進出、2021年優勝。現在フリーランスのバリスタとして幅広く活躍している。

 

留学先のニュージーランドで衝撃を受けたラテアート

松本さんとラテアートとの出会いは、高校卒業後の2012年、スポーツ通訳の勉強をするために留学したニュージーランドの首都・オークランド。「それまでコーヒーをおいしいと思ったことがなかった」という松本さんですが、少しでも学費の足しにしようと始めたアルバイト先のカフェで初めてラテアートを目にし、衝撃を受けたといいます。

「当時は日本でそんなにラテアートはメジャーではなく、コーヒーでこんなアートが描けるんだ! と雷が走りました」。好きになったらとことん突き詰めるタイプ。大学に通う傍ら、まずはコーヒーの本質を学ぼうとカフェでのアルバイトに精を出しつつ、自宅では毎晩のようにラテアートの動画を見て研究をかさねていました。

将来の目標はいつしか、“スポーツ通訳者”から“バリスタの頂点”へ。2016年、留学を終え帰国した後は、迷うことなくカフェで働きはじめました。一つの組織に属さず、あえていくつかのカフェでアルバイトを掛け持ちしたのは、“どんな場所でもやっていける幅広い技量と知識、対応力を身に着けたい”と思ったから。

「社員だと副業ができないじゃないですか。シアトル系の大手カフェチェーン、その真逆の個人経営のカフェなど、あえて方向性の違う店を選んで、週3~4日ずつ働いていました」。

時にはラテアートの第一人者である名古屋・cafe oneの小山氏の元へ学びに出かけ、実践としてはフリーポアーラテアートグランプリ2019に出場。 「自分が一線に立つために何ができるか」を念頭に置き、個人での活動にも力を注いできました。

「人に教えることでより自分の中に落とし込める」と、ラテアート教室を始めたのもこの頃。その時働いていた『forucafe』でセミナーを始めると『ニュージーランド帰りのバリスタがいる』とちょっと評判になったことも追い風となりました。

 

コロナ禍をきっかけに抹茶ラテアートを追求

バリスタとしての活動の幅が広がっていた2019年、松本さんは観客として足を運んだJapan Matcha Latte Art Competition 2019で、抹茶ラテアートの魅力に目覚めます。

「マシンで淹れるコーヒーに比べて、抹茶ラテアートは、例えば粉の混ぜ方や加水、点て方など、よりその人自身の技術が反映されます。抹茶はコーヒーと違って油分がないので描いた後の滲みにも気を配らなくてはいけません。抹茶ラテアートは難しくも面白く、対応力が身につく競技だったので、次に開催される大会では挑戦したいと思うようになりました」。

ほどなくして、コロナのパンデミックが起こり、松本さんの活動もスローダウンを余儀なくされます。しかし、松本さんは「時間ができたことで、抹茶ラテアートの研究と練習に没頭できました。そして、抹茶の面白さにも開眼しました」と当時を振り返ります。

翌2020年には出場者としてエントリーし、最終6名で競う決勝へ進出。「2020年は優勝を逃したことへの悔しさはありましたが、大会の直後にインスタのフォロワーが約3000人増えました。」

そしてその頃から在籍していた「forucafe」に、松本さん目当てのファンが来店するように。より効果的な自身の見せ方や情報発信方法を意識すると、次第にカフェの新規立ち上げの監修などのオファーが舞い込むようになったといいます。そして2021年9月、フリーランスバリスタとして完全独立。

 

絶対に失敗しない抹茶ラテアートを作るために180通り以上のパターンを検証

一方で、Japan Matcha Latte Art Competition 2020の悔しさをバネに、抹茶ラテアートの追求と練習は1年間かけて行いました。

「ミルクのスチーム具合、温度、抹茶の量と水分量など、少しずつ変えながら様々なパターンを試しました。全部で180通りくらいやりましたね。そのなかから本番でどんなフォームミルク、抹茶が用意されても対応できるように練習を重ね、絶対に失敗しない抹茶ラテアートを50パターンくらいまで絞りました」。

その努力を支えていたのは、「かっこいいラテアートをお客様に楽しんでいただきたい。そのためには、本番で100%の力を出し切れるよう、これだけやったんだから大丈夫、と思える自信をもって挑みたい」という確固たる想い。

そして挑んだJapan Matcha Latte Art Competition2021。軒並み様々な大会がオンライン開催となるなか、数少ないライブイベントであったことも大きな魅力だったといいます。

「お客様の目の前で描くというエンターテイメント性もラテアートの魅力のひとつ。やはり観客の前で描きたいという気持ちが強かったです。イベントに飢えている人が集中するだろうし、ここで優勝すれば、確固たる地位が築けるんじゃないかと思いました」。

そして結果は、見事優勝! その後はケータリングや商品開発、イベント開催など大企業からの数々のオファーにくわえ、民放ドラマのコーヒー監修、新規立ち上げカフェの監修、製菓学校での講師など、仕事の幅は大きく広がり、これまでの10倍になりました。

その合間を縫って、現在の活動拠点にしているシェアキッチン「hanare」で抹茶ラテ教室を不定期で開催しています。また2月からは同店舗で「日曜カフェ」と銘打って、オリジナルメニューの提供を開始。マグカップと酒枡で抹茶ラテを出すというユニークなアイデアは、今後もどんどん登場しそうです。

 

独自のポジションと対応力をいかして、お茶業界を盛り上げていきたい

抹茶ラテアート大会で優勝したフリーランスバリスタという、独自のポジションも松本さんの武器。

「僕の強みはバリスタとしてどんな場所やシチュエーションでも、ラテアートや抹茶ラテアートが描けるという対応力です。」と語る松本さん。セルフプロデュースと情報発信を上手に行いながら、活動の幅をどんどん広げている印象です。

「僕がここまでこられたのは、周りの皆さんのおかげです。例えば、Japan Matcha Latte Art Competition をこのご時世で開催していただけたのは、運営側の皆さんの尽力があってこそ。常に感謝の気持ちを忘れずにいたいですね」と力を込めました。地道な努力と謙虚な姿勢も松本さんを成功に導いた大きな要因でしょう。

今後の目標についてうかがうと、「この業界で若くして財を成した人というのを聞いたことがありません。僭越ながら僕がそのモデルケースになれればと思っています。そうすることでお茶・コーヒー業界、ひいては飲食業界の明るい未来につながれば」と、目をキラキラ輝かせながら語ってくれた松本さん。

「お茶に関して言えば、アメリカをはじめ海外の方が、Japanese teaを手軽に楽しむ文化とニーズがある気がします。日本国内で日本茶の文化を育てていくために、僕のラテアート教室も含め、抹茶や日本茶が主役の店が各地に増えること、そして魅力ある商品を広めていく必要があると思います。

その入り口は抹茶ラテアートでもそれ以外でもいいと思うのですが、今は日本茶についてきちんと学べる場所がほぼないので、機会があれば日本茶業界を盛り上げるためのプログラム作りにも参加したいですね」。

日本でバリスタとしてキャリアをスタートさせ、4年弱で躍進をとげた松本さん。素晴らしい行動力と集中力、そして国際感覚も併せ持つ、才能あふれる若きバリスタから、今後ますます目が離せません。

◆Instagram
https://www.instagram.com/mojastagram_official/

写真・吉田浩樹 文・尾崎美鈴