静岡茶発祥の地で淹れ手として歩み始めた、ひとりの青年
静岡県葵区足久保。静岡茶発祥の地として知られ、今なお盛んにお茶づくりが行われるこの地に、北国・青森からひとりの青年がやってきたのは約1年前のことです。彼の名は宇野 明日真(うの あすま)さん。
宇野さんは今、「足久保ティーワークス茶農業協同組合」が運営するカフェでお茶の淹れ手として店に立ちながら、お客様と生産者の双方に日々向き合っています。
1997年に足久保の茶農家約50軒が集まって発足した足久保ティーワークスは、足久保茶の伝統を受け継ぎ発展させていくために、カフェの運営をはじめ若手農家の育成、各種ワークショップ・イベントの開催など、さまざまな活動に取り組んできました。
近年は、クラウドファンディングを活用した新施設の開設や茶畑オーナー制度も開始。足久保茶を取り巻くコミュニティの輪は少しずつ広がり、今では全国にサポーターが点在するまでに。
「約800年も前にこの地に種が蒔かれたことで始まった静岡のお茶づくりが、何代も代替わりをしながらも今も同じ場所に息づいているって、すごいですよね。ここ足久保で淹れ手としてお茶に携われる喜びと責任を日々感じています」
カフェを囲む茶畑を見つめながらそう話す宇野さん。昨年は、農作業や工場での茶の加工も経験し、自らが肌で感じた足久保茶の魅力と生産者の声を、店に訪れるお客様に伝えてきたといいます。
「素直に、淹れることが楽しかった」
今でこそ、お茶の淹れ手として活動する宇野さんですが、以前はコーヒーを淹れるのが趣味だったそう。お茶に興味を持ち始めたのは、青森で過ごした大学生時代に何気なく参加した日本茶のペアリングイベントでの不思議な体験でした。
「家に帰っても余韻がずっと抜けなかったんです。お茶を飲んだときにスッと自分の中に馴染んでいく心地よさや、強烈的な美味しさとはまったく違う、研ぎ澄まされながら一点に集約されていくような奥深さ、それから、同席した人それぞれがお茶を自分自身で消化しているのに、その場・その時間を共有していることで強いつながりを感じる空気感……。賑やかで華やかさのあるコーヒーのカルチャーの中では味わったことのない感覚でした」
ほどなくして近くのスーパーで急須と茶葉を手に入れると、自宅のキッチンにはコーヒードリッパーと急須が並んでいる光景が当たり前に。
その後、近所の日本茶を扱うカフェで働き始めたことを機に、手あたり次第に本を読み漁っては家でお茶を淹れ、図鑑で品種やその特徴を調べたりさまざまなブランドのお茶を購入したりと、コツコツと独学でお茶を学ぶ毎日。「淹れ手になった理由は、いろんなアプローチでお茶に触れたけど、素直に淹れることがいちばん楽しかった」と、少し照れくさそうに話してくれました。
自分が淹れた一杯が、誰かのお茶人生を左右する
知り合いやお客様へお茶を淹れる機会を重ねるほどに、“自分が淹れる1杯”の意味を意識するようになったと、彼はいいます。
「お茶って突き詰めれば、“ただの飲みもの”なんです。一般の人は、茶葉を見たり製法や品種を聞いたりしただけでは、味や価値を判断しません。飲んではじめて、何かを感じてくれます。僕が美味しいと思って選んだ茶葉を、僕が淹れてお客様にお渡しする……。それがどんな茶葉で誰がつくっていようと、お客様にとっては目の前の1杯がすべてです。
もしかするとその1杯をきっかけにお茶に苦手意識を持ってしまう可能性さえあると思うと、淹れ手次第で、お茶を好きにも嫌いにもできてしまう。そのことは、お茶を淹れ始めてからずっと心に留めています」
終始、謙虚に振る舞う宇野さんですが、真っ直ぐに見つめる瞳の裏にある責任感の強さとお茶や生産者に向き合う真摯な気持ちは確かなもの。目の前の一杯がすべてだからこそ、そこにそれぞれの茶の持ち味を出し切りたいとも語ってくれました。
しかし、そんな真っ直ぐな彼だからこそ時には心が揺れることも。
自分の感覚で「これが美味しいお茶」といい切ることに、違和感を覚えることもあるというのです。“美味しい”という感じ方は人それぞれなのに、お客様自身が自分でいろんな味を感じ取る機会を奪ってしまうことになってはいないだろうか、と……。「誰のどこに焦点を合わせて“美味しい”の解像度を決めるのか、淹れ手にはその調整力が求められる」と、宇野さん。
その彼自身が今目指しているお茶を尋ねてみると、“フツウの一杯”という意外な答えが返ってきました。インパクトのある衝撃的な美味しさでも、日本茶の概念を覆すような特別な一杯でもなく、じっくり探してやっと見つかるくらいの何気ない味わい深さ。それが彼にとっての“美味しい”の基準だといいます。
大切にしているのは、最後までストレスなく飲み切れることと、飲み終えたあとに「ああ、(理由はわからないけど)なんか美味しかったなあ」と思える感覚。自然とまた飲みたい、生活のそばに置きたいと思う美味しさを、宇野さんは“フツウ”と表現します。それはまさに、彼自身がお茶に出会った時に感じた、“身体に馴染む一杯”に通ずるものなのでしょう。
淹れ手は、お客様と生産者、双方向のメッセンジャー
「淹れ手の仕事は、お茶の美味しさをお客様に伝えるという、生産者→お客様の一方向のベクトルの橋渡しだと捉えられることが多分にあるのですが、僕はそうは思いません。その逆……、お客様→生産者というベクトルの中でも、淹れ手には大きな可能性が託されていると思うんです」
この地に来て「足久保のお茶をこの先もたくさんの人に届け続けたい」と願う組合の茶農家たちの声に触れ、淹れ手もお茶づくりに携わる時代だと感じると、宇野さんは力強く語ります。伝統や長年の慣習を守りながら生産者の価値基準だけでお茶づくりをするのではなく、お客様のニーズを取り入れることも必要。そのために、直接お客様と対面する淹れ手がいると彼は考えています。
「現代の生活スタイルやニーズに応えられているか、お客様はどんなお茶を求めているのか。その声を淹れ手が拾い、消化し、生産者にフィードバックする。それも僕らの役割です。お客様と生産者、双方向のメッセンジャーとして淹れ手が担う責任は大きいと思っています。とはいえ、僕なんてまだまだ未熟者なんですけど……(笑)」
ほかにも、ブランドや産地の看板を背負って大会やイベント、メディアなどの表舞台に立つことでも、淹れ手はお茶の普及に貢献できると話す宇野さん。今後は足久保ティーワークスが提供しているオーナー制度のリターンコンテンツを充実させたり、ライブ配信やイベント出店など足久保の外の人と触れる機会もつくれたらと話してくれました。
「足久保には、美味しいものも豊かな自然もたくさんありますし、ユニークな試みをしている人もいます。何より、縁もゆかりもない青森から来た僕を温かく受け入れてくださった街の皆さんには感謝しかありません。だからこそ、茶の淹れ手という自分が担える立場を通して足久保の地域に恩返しがしたい。“地域のつながりの中心には、いつもお茶とカフェがある”。街の方と一緒にそんな憩いの場所にしていけたら」
今年も新茶シーズンを迎え、宇野さんにも淹れ手としての新しい1年がやってきました。ただお茶を美味しく淹れるだけが淹れ手ではない、と語る彼の存在は、伝統ある足久保茶にどのような風を吹き込んでくれるのでしょうか。ここからまた新たな茶の文化の芽が出るのが待ち遠しいものです。